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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第3節 女同士 [7]




 美鶴は動けなかった。乗りたいという衝動と、乗ってはいけないと制するもう一人の自分。黙ったまま身動きのできない美鶴の耳元で、低い声が囁く。
「あれ、誰?」
 途端、急にこの場から逃げたいという気持ちが沸いた。
 なんだろう。なんだか、今の自分を他の人間に見られるのはすごく嫌だ。智論さんと対峙している自分はひどく醜く思えて、他の人間には。
 それに、聡と一緒にいるところを他の誰かに見られるのも、やっぱり。

「どうせだったら、キスしてるところでも見せつけてやればよかったな」

 カッと、全身が火照る。まるで先ほどの現場がこの場に再現され、智論の目の前に公開されているかのような錯覚。智論のその真っ直ぐで澄んだ瞳が、駅舎で交わした言葉のすべてを見透かしているようで、なんともいたたまれない。
 躊躇ったが、乗る事にした。智論の言葉に素直に従うのは癪だが、とにかく聡とは離れたい。それに、霞流の名を出されてはやはり無視はできない。
「そちらの男の子も同席する?」
「あ、もちろん」
 続いて乗り込もうとする聡を、美鶴は強引に遮った。
「お前は来るな」
「は?」
「お前は、来るな」
「なんで?」
 なんで? 当たり前だろ。自分の胸に聞いてみろ。
「智論さんは、お前には関係無い」
「か、関係無いって。って、智論って? 慎二ってあの霞流のヤローの事だろ? あ、おいっ」
 聡の言葉など背中で無視して美鶴は後部座席に乗った。その姿を確認して扉を閉め、一度聡を振り返って智論は躊躇った。だが、後部座席で完全に聡を無視している美鶴の姿を確認し、結局は小さく会釈をしただけで、無言で助手席に乗った。
「おい、美鶴っ」
 動き出した車に右手を伸ばすが、そんなもので車が止まるワケはなかった。





 壁に背を凭れさせ、里奈(りな)は小さく溜息をつく。もう一時間も、こうしている。
 なにクヨクヨしてるのよ。直接聞くって、決めたんでしょう?
 だが、それでもなかなか足が動かない。
 もう誰にも頼らないと決めた。美鶴にも、そしてツバサにも。
 ツバサが、自分と蔦との事を気にしていただなんて。
 聞かされた時、里奈は正直、面食らった。
 あの快活で小ざっぱりとしたツバサが実は気にしていただなんて、信じられなかった。
 ツバサも、やっぱり女の子なんだよね。
 里奈は正直、蔦の事はもう本当になんとも思ってはいない。今の彼女は、別の男性に心を奪われているくらいなのだから。
 でもツバサは気にしている。当然だよね。好きな子がいたら、誰だってその子の過去とかは気になるだろうし。
 考えてみたら当たり前だと思う。どうして自分は気付かなかったのだろう。
 だって、まさかツバサが気にしているだなんて思わなかったから。蔦くんに渡すチョコを作りたいから手伝って、なんて言われたし。
 少し動揺する。
 私、ツバサの事をちゃんと理解していなかったというコトなのだろうか? それとも、誤解してた?
 ツバサは、実は里奈が思っているような人ではないというコトなのかな? それは、美鶴が里奈の思いもよらない理由で自分から離れていったのと同じように。
 思っているのとは違う人。
 少し唇を尖らせる。
 だったら、自分だって。
 キュッと唇に力を入れる。
 金本くんと美鶴は、今だって仲がいい。それに、よりにもよって金本くんは、美鶴の事が好きなんだ。
 認めたくない。信じたくない。
 美鶴の顔など、もう見たくもない。この世に存在するとも思いたくない。
 ツバサも、そうだったのかな。私の事なんて、この世から消えてなくなればいいって、思ってたのかな?
 ツバサは今でも里奈に対して変わらぬ態度で接してくれている。だから里奈も、変わらぬ態度を返している。
 でもきっとツバサ、本当は今でも私と話をしたりするの、辛いんだろうな。
 じゃあ、もうツバサには頼れないよね。
 ツバサに頼る。
 その言葉が胸に重い。
 やっぱり私、金本くんの言うように、誰かに頼りっぱなしだったのかな。
 そんな里奈を聡は嫌いだと言った。
 でも、じゃあ、私が誰にも頼らない強い人間になれたとしたら?
 思い出す。美鶴に顔を寄せる聡の、甘くて少し切なそうな瞳。
 悔しい。
 どうして? どうして美鶴なの? 美鶴なんて、金本くんの事なんてこれっぽっちも好きじゃないのに。私の事だって勝手に誤解して、突き放して。
 そうして自分は捨てられた。自分は、美鶴に捨てられたのだ。
 腹の底からモヤモヤとしたものが這い上がってくる。
 自分こそが美鶴の引き立て役だったというのに、美鶴の方こそ里奈を利用していたというのに。なのに美鶴は、まるで自分の方こそが被害者で、悪いのは里奈だと詰ってくる。
 私が何をしたと言うの? 私はいつだって美鶴の味方だった。小学一年のあの日から、初めて声を掛けた日からずっと。
 両脇に垂らした手を握りしめる。
 私は、美鶴に何も悪いコトなんてしていない。それなのにこんな仕打ちを受けるなんて、納得できない。
 美鶴には負けたくない。これ以上、負けたくないの。
 だから金本くんだって、渡したくない。
 ゆっくりと顔をあげる。
 そうよ、美鶴に負けちゃダメ。
 それまでの、意気地なさそうな表情が消える。
 美鶴には負けない。
 まるでおまじないのよう。
 足に力を入れると、不思議と一歩が出た。
 自分でなんとかするのよ。
 言い聞かせ、門の前まで進む。震える手で呼び鈴を押した。インターホンに出てきたのは女性だった。
「はい、金本でございます」







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